ベイタウン旅行倶楽部 / 新東京観光ツアー その2
秋葉原 (その1)
秋葉原は中学校のときからつきあい。私の庭みたいなものだった。用が無くても何時間でも歩いてられる大好きな街なのだ。そして使い方もよく分からないジャンクの基盤などを買ってきてはそれをいじりまわすのが秋葉原に行った翌日からの生活なのである。



昌平橋近辺
総武線の千葉方面から行くと浅草橋の線路沿いの衣類の問屋や倉庫が立ち並ぶ地味風景から一変して秋葉原の領域に入ると突然車窓がぱっと明るくなったような雰囲気になる。

なぜかベイタウンの住民には電子産業、IT産業に従事している人間が多いので、彼らとって秋葉原は比較的ポピュラーな街である。いや、もちろん全国区で秋葉原は電気の街としてあまりにも有名である。大型電気店が華やかなネオンを光らせ、店頭ではハッピを着た販売員が電卓片手に走り回る。裏通りに行けばジャンク屋や、パーツの専門店、マニアックな店が軒を連ね、熱心なアキバーが群がる。

秋葉原は独特の香りがある。駅のホームに降り立つと都会の雑踏特有の埃っぽい香りに混じって、ラーメンやカレーの臭い。ホームの売店や、秋葉原デパートの1階の食品売り場から漂ってくるのだろう。かつては、北東の線路沿いに大きな野菜市場があり、ここからも独特な香りが漂ってきた。いや、それだけではない。なんと表現していいのか分からないが、電解コンデンサのやや油っぽい香り、エナメル線のコイルの香り、回転するモーターのちょっと焦げたような香り。そう、流石に電気の街なのだ。

一時秋葉原は郊外の量販店の勢いに押されていた。秋葉原まで行かなくとも家電はもとよりパソコンだって買える。しかし、秋葉原でしか買えないものも多い。12〜13前からめきめき成長してきたソフマップはある意味で秋葉原の救世主かもしれない。中古ゲームソフトの流通を手始めとして、パソコンのハードとソフトの中古売買を一般的なものとして確立した。当初、ジャンク屋は寂れた裏通りにしか成立しなかったのに、中央通りで堂々と客を集めるようになった。

それでもエレクトリカルなオタクは駅前に立ち並ぶ大手家電販売のの店(石丸電気、ラオックス、第一家電、ロケット、ヤマギワ、エトセトラ)には目もくれず、ひたすらラジオ会館の中のオーディオショップや、ガード下のパーツ屋、線路沿いのラジオデパートの怪しげなパーツ&ジャンクショップを目指す。幅1mちょっとしかない狭く薄暗い抵抗やコンデンサを売る店がマニアにとって宝箱のような存在なのだ。昨今、秋葉原で注目されているのはアニメなどのキャラクターのフィギア。ラジコンマニアにも秋葉原は聖地となっている。

御茶ノ水から見た秋葉原
ところで、アマチュア無線家は秋葉原を語る時に欠かせない存在である。今でこそ、趣味の王様という存在ではなくなってしまったが、携帯電話もパソコンも無い当時は明らかに最先端の趣味だったと思う。ITという言葉さえ無かった時代、アマチュア無線の免許を持ついわゆる無線マニアは独自の文化を作っていった。パソコン文化に変わってからパケット通信やチャットは当たり前のことだが、かつてのアマチュア無線家は工夫しながらそれに近いことをやってのけた。

そのアマチュア無線家の憧れの地が秋葉原だった。秋葉原には何でも揃っていた。昭和20年代生まれの世代は米軍の払い下げの通信機を改良してアマチュア無線用に改造したり、テレビやラジオの真空管を利用して、モールス通信機を作った。知識のある人間同士、秋葉原で出会い、そして電波を通じて親交を深めた。アマチュア無線とは別にラジオマニアもいた。ラジオが普通に買えば2万円から3万円の時代に、比較的音質も良くチューニングの精度の高い5球(真空管5本)スーパーヘテロダインを8千円程度で自作するマニアだ。今のパソコンマニアに通じるところがある。

また、オーディオマニアも秋葉原に通った。昭和50年頃1本100万円以上の値段のつく海外ブランドのスピーカーが彼らの憧れで、秋葉原にはそんな名器がずらりと並んでいた。今でもラジオ会館の中や裏通りに高級オーディオ専門店があり、往年のマニアがたむろしている。ただ、AVという新しいジャンルが生まれ、主流になった現在では、かつての意味合いの高級オーディオは段々と存在感が薄れている。やたらにボディのでかくオレンジ色に光るアナログのVUメーターを備えたアンプがずらりと並ぶ古めかしい店舗は、昭和の良き時代の空気がそのまま残っている。

さて、ベイタウン旅行倶楽部のお勧めコースをご紹介しよう。前述のラジオ会館もラジオデパートも味わいがあって面白いのだが、興味の無い人間にはどうでもよいので電気街はざくっと歩くことにしよう。風景として趣があるのは秋葉原の北口からかつての野菜市場、現在超高層住宅の建設中の敷地の北側辺りまで歩く。その周辺は電気に関連する問屋街。小売店が殆ど無いので割りと閑散としている。小さな会社がひしめく様は東京の縮図のようでもある。蔵前橋通りと中央通りそして総武中央線で囲まれた一角も見逃せない。この辺りがいわゆるジャンク街。しかし、中央通りから遠ざかるにつれ木造の住居や路上に置いたたくさんの鉢植えも出現し、下町情緒が漂う。万世橋を越え、交通博物館の辺りも懐かしい雰囲気。交通博物館そのものもレトロ。赤煉瓦の高架もところどころ残っている。

そんな秋葉原の情緒も段々姿を消しつつある。現在着工中のタワー型マンションが完成したら、イメージは大きく変わってしまうだろう。まあ、それだけ住民が増えるからある意味活気は出てくるのだろうが、どうも秋葉原のイメージとタワー型マンションは違和感を覚えてならない。かつて、野菜市場と電気街が隣接し、なおかつ裏路地に入ると昔風の住居や古い倉庫に紛れて小さな居酒屋が点在していた秋葉原が懐かしい。夕暮れ時に、小さな公園で将棋を差すご老人の姿も今や昔の風景なのだろうか。

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2003年頃?執筆 Zaki
(写真は1991年頃のものだと思う)  >>> 秋葉原(その2)


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