押上を意識したのは、定かではない。変わった地名だなというのが印象で、それと、浅草よりも更に千葉寄りという場所にも興味があった。これといった理由が無いけれど、何故かその近辺には惹かれるものがあった。例えば本所吾妻橋、向島、業平橋、曳船などの地名からぐっと来るものがあった。ところが十代の頃までは行ったことがない。
その後、今から二、三十年前くらいだろうか、池波正太郎の「鬼平犯科帳」を読んでいた。その第一巻に押上が登場するのだ。火付盗賊改方(役人)の十蔵(長谷川平蔵ではない)がかくまっていた亭主殺しの下手人で、十蔵の愛人のおふじが居たところである。それがずっと心の片隅にあったので、押上に第二東京タワー(スカイツリー)が出来るということを初めて聞いたときに、江戸時代のビジュアルの中に忽然と現れた最先端の建造物が建つ様を想像してひとりニンマリした。
おふじは、隠れ家の押上には当然ながらひっそりと暮らしていて、十蔵がたまに訪れるときだけ激しく燃えるのである。おふじの腹には自分が殺した亭主との子どもがいた。許されない愛。結局は悪党におふじをかくまっていることを脅されて十蔵は自害。追うようにおふじも自害する。悲しい話だ。それが大ヒットする「鬼平犯科帳」のシリーズの一作目の冒頭に出てくるのである。
私が京成電車を下車し、初めて押上の地に立ったのは忘れもしない二十七歳のときだった。押上に住んでいる同僚を訪ねたのだ。季節は梅雨の頃だった。東十間川というどぶ川沿いの小汚いアパートに彼は一人暮らししていた。駅前にちょこっと賑やかな商店街があるけれど、その同僚の住んでいる辺りは寂しいところだった。特に夜などは東京とは思えないほど森閑としていた。
事件が起きたのは、その数日後だった。いや、同僚が事件を起こしたのではなく、そのアパートの隣の隣に住んでいた同棲している男女の色恋沙汰である。同僚の話だと、夜の11時頃に物凄く大きな声で言い争いをしていて、それがそのうち怒号と悲鳴に変わったので、警察を呼んだということだ。その間にドアが開いて、男が外廊下に出てきた。男は大きな声で「すみません。誰か救急車を呼んでください。」と叫んでいた。部屋の中では絶え間なく女の悲鳴が聞こえていた。
男が女を包丁で刺したのだ。駆けつけた警官に男はすぐ取り押さえられ、連行される。女は救急車が運んでいった。確か刺された女の人は大した怪我じゃなくて済んだようだ。別れ話のもつれで男がかっとなって、包丁で脅したら本当に刺さってしまったというような内容だと記憶している。ま、いずれにしても物騒な事件である。そういうことがあったので、暫くしてから同僚は亀戸のほうへ引っ越したようだ。
まあそんなことがあったので押上というとすぐそっちのほうへ話が行ってしまうのだ。しかし、昨今は私の中での押上についての記憶もすっかりスカイツリーのことで薄らいできた。今や押上といえば、なんといってもスカイツリー。建設が始まった頃(といっても基礎工事後)からかれこれ十回近く、近辺を訪れては写真を撮っている。
東十間川からのスカイツリーの景観は秀逸だ。連日アマチュアカメラマンがたむろしているようになった。川面に映るスカイツリーは逆さ富士ならぬ、逆さツリーなわけだ。完成前にも関わらず、押上は何かと賑やかになってきた。それに伴って、段々と昔の風景が無くなってゆくのだろうか。
上の写真、右上の写真は2010.5.10(---だったと思う)の撮影。
冬晴れの押上を歩いた後、神田の古本屋で「鬼平犯科帳」の文庫本の第一巻を購入した。
2010年2月17日 Zaki |