ベイタウン旅行倶楽部

ガード下の哀愁
テレビドラマでありがちな、酒を飲みながら人生を語る一幕・・・。
また、「太陽にほえろ」で犯人が逃げるシーンとか、
ガード下は絵になるし、ちょっと怪しいムードが漂っていて、そして、何故か哀しい。
(2008/4/25 Zaki)

新東京観光


中央線の高円寺、阿佐ヶ谷のガード下の居酒屋にはよく行った。阿佐ヶ谷には、たまたま友人のお母さんが経営していた焼き鳥屋さんもあった。ガタンガタンと大きな音を立て、ひっきりなしに走る列車の振動で、コップの中の酒が小さなさざなみを立てていた。それから、「チャンピョン」というボクシングの元チャンピョンが経営しているレストランもあった。深夜までやっていたので、小腹が空いたときによく行った。でも、今じゃ高円寺も阿佐ヶ谷もお洒落になって、ガード下という何故か哀愁を感じる景色から程遠くなってしまった。

浅草橋や両国の辺りのガード下もいい感じの独特の哀愁が漂っていて好きなスポットだった。あの辺りは夜になると、人っ気が無くなって、寂しくなる。ここ二十年来、真剣にウォッチングしていないので、今はどうなっているのか分からない。あまり変貌を遂げているとは思えないのだが。機会があれば行ってみたい。ガード下で思いつくのは、一大ショッピングセンターの代表格の上野のアメ横。かつて、革ジャンに凝っていた頃にはアメ横で、日本ではあまり見かけない輸入物を探しに行ったものだ。

どうしてガード下に哀愁があるのだろうか。でかいボルトがむき出しの重厚な鉄骨がつくる独特の風景。一日中太陽の光が到達しない、本来は暗い場所なのだ。場所によっては資材置き場になっていたり、不健康なイメージの公園になっていたりする。ヨッパライが迷い込んで、立ち小便をしたりゲロを吐いているのもガード下のイメージにマッチしている。不良がシンナーをやっていたり、カツアゲをやっていそうなのもガード下のイメージだ。

ガード下には負のイメージが強いにも関わらず、何故か私にはとても強い吸引力があるような気がする。魔力というのか、とてつもないエネルギーが私を引き寄せる。神田駅周辺を歩いていると、ついガード下の大衆食堂やら居酒屋に引きずり込まれてしまうのだ。そして、気づいたらサンマ定食を食べていたり、ホッピーを飲んでいたりする。サンマ定食なんて、おそらく神田のガード下じゃなければ、積極的に注文するようなメニューではない。今でこそマイナーなイメージから脱却した感の強い秋葉原のパーツ屋も昭和の時代には相当な哀愁エネルギーを発していて、知らぬ間に、絶対に使うことは無いだろう、真空管とか電解コンデンサーなどを買ってしまうのである。

今は亡き赤尾敏のポスターの残骸も残っていて、ますます哀愁が漂っている。

ちょっと足を延ばして、中央線の神田から御茶ノ水にかけてのいい感じのカーブしている界隈に行くと、ガード下には大正(?)の頃の面影が残っていて、とてもいい雰囲気だ。赤レンガの壁面が素晴らしい。有楽町から新橋にかけてのガード下もアールデコの雰囲気がかなり残っている。やはり古びたレンガがいい味を出している。大正、昭和、そして平成と3つの時代の、それぞれのお父さん達が、立ちションしたのだと思うと、なんとも愛しい気持ちになるではないか。

2008/4/26
しばざ記 451より

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有楽町から新橋のガード沿いに歩いたときの撮影。

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創業明治17年 神田まつや万世橋界隈(神田)の中央線のガード。左は須田町側、右は万世橋からの撮影。ゆったり流れるのは神田川。

須田町はその昔、連雀町と言われ、偶然にも空襲で焼け残った場所である。ついこの間まで交通博物館が一角にあった。また、「神田やぶそば」、「神田まつや」の名店がある。
(写真右:明治17年創業の手打ちそばの「神田まつや」)

神田まつや オフィシャルページ] [連雀町を歩く](神田まつや)

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